Cafe-3


















久し振りにカフェの話。


いつの間に未来という言葉の力が弱くなってしまったのだろう。
まだ幼い頃は、想像さえ出来ない未知の世界への
期待と希望でしびれる程興奮していた。
誰の本だったか、小学生の頃に読んだ21世紀のストーリーは、
その感じを今でも覚えているほどワクワクしていたのに、
いつの頃からか夢や希望を含む”未来”という考え方がわからなくなった。
新しい一年が始まるタイミングで、
この先の一年、この先の十年、百年と想像してみて、なぜだろう、
以前よりもイメージしにくくなっていることに気が付いた。

正直に言うと、不安な想像の方がしやすくなっている。
自分はどうにでも生きていくだろう、でも子供、孫の世代ではどうだろう。
なにより、すでに元気ではないこの地球はどうだろう。
周りの人達と過ごす時間、カフェでの時間、茶道の稽古を通して
感謝、存在という点で”今”への理解は深まって来ているけれど、
夢がかなっていることに気が付き、
欲しいものは持っていることを知ってしまうと、
未来とは今の延長で、なんとなく想像がついてしまうからだろうか。
いや、想像出来ない出来事にも、
どうにか対応していくだろうとわかっているからか。
なんてことはない、今に満足できている幸せ者というだけのことか。
この年になってようやく、現実を見つめることを知ったのかもしれない。

今年初めての稽古で、先生に茶道の教科書を頂いた。
教科書があったのかと思いながら読んでいるうちに、
先生がこのタイミングで与えてくれたのにも意味がある気がした。
冒頭に、”人生という御しがたい存在の中にあって、
とにかくできるだけのことを何かなし遂げようとする、心優しい試み”
と茶道の本質を説明している文を見つけ、いつ人生終わっても満足です、
なんていう顔した私に先生がにやりとする場面がすぐに思い浮かんだ。
まだまだやることがあるよな、と一年が始まった気がした。

朝起きて布団から出たくない瞬間、その寒さに安心したり、
昼間の日差しの中にいると、
気持ちいい反面その暖かさに怖さを感じたりしている2008年の冬。
年の始めに地球と自分達の現状にすっかり悲しみのつぼに再びはまり、
希望もなにもないよー!と極端な石のような頭で、
人間として生きる意味も、カフェで働く意味も失いかけていたけど、
それはまったく逆で、やっぱり行き着くところはここだと思った。

自由、自在。発信、受信。カフェ。

去年はいのしし年らしく正面衝突でしたが、
今年はもっと勉強してもっと地球を楽しんで、
幅広い知識と思い出をネズミのようにためこんでいこうと思った。


(カフェ&レストラン2月号)