「最低にして最高の道」


もう止そう
ちいさな利欲と ちいさな不平と
ちいさなぐちと ちいさな怒りと
そういううるさい  けちなものは
ああ、きれいにもう止そう
わたくし事の いざこざに
見にくい皺を 縦々よせて
この世の地獄に 住むのは止そう

こそこそと 裏から裏へ
うす汚い 企みをやるのは止そう
この世の 抜け駆けは止そう
そういう事は ともかく忘れて
みんな一緒に 大きく生きよう
見えも かけ値もない裸の心で
らくらくと、のびのびと
あの空を仰いで われらは生きよう
泣くも笑うも みんなと一緒に
最低にして 最高の道をゆこう



高村光太郎



 

再会














































たまプラーザエクリュの皆と再会。どこかから帰ってきた気分だった。閉店して3年半、今でもこうしてつながっている事が奇跡のようだと思った。どちらかというと悲しかったり大変だったりという閉店の想い出が少し浄化された気がした。人に会うって大切で感動的だ。アメリカにホストファミリーを訪ねた時のざわざわした気持ちと重なるような気がした。話す事なんかほとんどないんだけど、会えたってことが嬉しい。往復8時間の日帰り電車旅行でした。

冷や汁の会














































那須はまだ寒くて、冷や汁は早い。薄着もまだ早い。
結論。冷や汁って、思ったよりひやされる。

ちゃちゃっとしない

車を売って2ヶ月くらい経ちました。生活のペースがすごくいい感じです。もともとせっかちで機械も嫌いではないので、毎日の暮らしの中で不便なことなんかなくなっていました。何でもやろうと思えばすぐできるというのが基本になっていたので、逆に余った時間を無駄にしてしまったり、なんだかその時間自体を満喫していなかったり。でも今は自転車か歩きなので、どこに行くにも車の4〜5倍の時間がかかり、でもその時間がひらめきだったり気持ちよさだったりを産んでくれて、毎日の暮らしに大きくプラスになっている訳です。自分のペースが戻ってきたようなそんな嬉しさです。便利すぎる事は必ずしもすべての人にいいものではないかもしれないです。

ふたつの自分



ひさしぶりに jack johnson を聴いています。
高専の頃にいつもギターを弾いてた男の子に教えてもらった音楽、
しばらくの間あまり聴こうと思わなかったのに、おとといからずっと聴いています。
今朝も聴きながら、love song なら jack johnson のが一番すきだと思いました。

このごろ自分の中に色々な場所があることがわかるようになりました。
大きく分けるなら二つで、
一つはシンプルで自然で風通しが良く心地よく平和な感じ、
もう一つは混沌としていてもっと卑しくひねくれていて美しくすごく惹かれる感じ。
前者の方が普段の自分が求めているものですが、
後者を求めることもたまにある、本当に欲しいのはこちらかもしれない。
でも受け入れる大きさがまだ私には足りないのだろう。
きっとこれが先日の「やるせなさ」につながっているんだろう。
ふと大事なものを思い出す、感じ。
本当に大事にしたいものを大事にできる人になりたい。いや、戻りたい。
当たり前のようで、いつの間にか難しくなってしまったな。

ところで jack johnson とは違う音楽も大好きだ。
いろんな気持ちが、体の中に生まれるのがとっても不思議。
でも 今は心地よさにやっぱり身を委ねたい。

海に行きたい。