「感動」を信じる
村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。
読んで、つながりという大事なものを感じずにはいられませんでした。
繋がるということは調和したり、流れに逆らわないということだったり、
安心感だったり、人間の運命であったり、いろんな意味があると思います。
でもつながりの中で何か強力な信じるものを持っていなければとも思いました。
何を信じているんだっけと思い考えるうちに、自分の信じるものがわかなくなりました。
数日悩んでいたけれど、今日いまの答えを見つけることができました。
感動です。自分が感動したものを何であれ自信を持って信じる。
皆さんは何を信じていますか?
ある人は可能性を信じていると言いました。
この演奏を聴いてドキドキが止まらない夜。
今日は水瓶座の新月。
これまで信じていたこと・もの・ひと。
沢山あるはずが思い出せないものです。
きのうおとといと、信じるものがわからないという日を過ごして、
それっていうのはつまり生き方がわからないってことなのではないかという気さえしてきて
宗教とは信じる生き方があるということで、それはそれで幸せなんだと思いました。
そしてそんな風にまで揺さぶられたこの本は素晴らしい作品だと思ったのです。
だってただの文字じゃないですか。
本は財産だ、とまたまた知った訳です。
何年も、何十年も、何百年も前から、誰かの声を聞くことができるというのは
本当に本当に凄いことだと思います。
いい予感
書き初め
新しい人達
知っている人の、新しい面に出会う。
毎日会っている中で知るその人の新しさ。
今日あったその人と、明日会うであろうその人は違ったりもする。
今夜、今まで割と長い時間一緒にいた人が、違う人に見えた。
もっともっと、その人らしい姿を見たいと思った。
もっともっと、その人らしくいられる場所を作れたら
共に過ごした時間も少し違ったかもしれない。
人がその人らしく振る舞えるような相手でいたい。
年が明けて一番におめでとうと言ったその友達の前では私はとても気が楽で、
いつもより自然にいられる気がして、その存在の大事さに気が付いた。
誰かのそんな存在でありたいです。
あけましておめでとうございます。
毎日会っている中で知るその人の新しさ。
今日あったその人と、明日会うであろうその人は違ったりもする。
今夜、今まで割と長い時間一緒にいた人が、違う人に見えた。
もっともっと、その人らしい姿を見たいと思った。
もっともっと、その人らしくいられる場所を作れたら
共に過ごした時間も少し違ったかもしれない。
人がその人らしく振る舞えるような相手でいたい。
年が明けて一番におめでとうと言ったその友達の前では私はとても気が楽で、
いつもより自然にいられる気がして、その存在の大事さに気が付いた。
誰かのそんな存在でありたいです。
あけましておめでとうございます。
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